ぷりん's note

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『賃金・価格・利潤』を読む 6~14節

以下、特に記載が無ければ引用文は光文社新訳古典文庫の『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』から引用している。

 

第6節

商品価値の定義とそれを規定しているものは何かという問題提起から始まる。(商品の量的交換比率としての)価値を規定するものは、今対象としている交換に関与しない第三のものでなければならない。つまり、あらゆる商品価値を同一の尺度で測れるものが存在しなければならない。

その同一の尺度とは何なのか。あらゆる商品の交換価値はそれに内在している自然的性質とは何の関係もなく、社会的機能に過ぎない。したがって、すべての商品に共通の社会的実体、すなわち(社会的)労働こそが商品価値を測る尺度だとマルクスは言う。

したがって、われわれは次のような結論に至る。 商品が価値を有しているのは、それが社会的労働の結晶化だからである。その価値の大きさ、あるいはその相対的価値は、その中に含まれる社会的実体の量がより多いかより少ないかに依存している。すなわち、その生産に必要だった労働の相対的量に依存している。したがって、諸商品 の相対的価値は、それらの中に支出され実現され凝固している労働の個々の量ないし分量によって規定されるのである。同じ労働時間で生産されうる諸商品相互の[価値]量は等しい。あるいは、ある商品の価値と他の商品の価値との関係は、前者に凝固している労働量と後者に凝固している労働量との関係に等しい。

(189ページ7行目から)

これが第6節前半の結論である。投下された労働時間が同じであれば、それら商品の価値は等しい。そして商品の価値は労働者の賃金と何の関係もない(その逆は関係しうる)。あくまでも商品の価値は労働量によって規定されるのであり、労働の価値つまり賃金によっては規定されない。

そしてここで言う「労働量」というのは以下を指している。

ある一定の社会状態のもとで、ある社会的な平均的生産条件のもとで、また使用される労働の一定の社会的に平均的な強度と平均的な熟練度をもって、その生産に必要な労働量のことである。

(192ページ12行目から)

例えばLabor-Savingな技術進歩が導入された場合、ある単位量の生産物を生産するのに以前より少ない労働量しか要求されない。生産物の価値は投下労働量によって規定されるので、この生産物の価値は以前より低くなる。これをマルクスは端的に表している。

商品の価値はその生産に充用される労働時間に正比例し、充用される労働の生産力に反比例する
(195ページ6行目から)

議論は「価値」から「価格」へと移る。

価格(自然価格)は価値の単なる貨幣基準に過ぎない。経済学における「名目」と「実質」の相違に対応すると考えて良いと思う。アダム・スミスから引用して議論しているが、需給均衡が実現された市場では市場価格は自然価格に一致するとマルクスは述べている。市場価格が何らかの要因で一時的に自然価格から乖離することはあれど、平均的には両者は一致する。

こう考えると、利潤は不当に価格を釣り上げることによって生じるわけではないということがわかる。利潤は商品をその価値通りに売ることによって生じる。これが第6節後半の結論である。これは後の第10節でも繰り返し述べられる(ただし、剰余価値を用いて議論している)。

 

第7節 労働力

話は商品一般の価値から労働の価値へと移る。一般的な意味で用いられている「労働の価値」は存在しないとマルクスは言う。労働者が日々売っているものは「労働」ではなく「労働力」なのだ。

では「労働力の価値」とは何なのか。やはりほかの価値と同じように「労働力の価値」もまた、それを生産するのに必要な労働量により規定される。労働者が自分自身を維持・発達させ、そして家族を維持させるため、すなわち総体として見れば労働者種族を永続させるためには一定量の必需品が必要である。この必需品の価値によって労働力の価値が規定される。

公平な賃金というのは実現しえない。飛行機のパイロットとダンボール梱包では、労働者の技能を発達させるために明らかに異なる量の労働が投下される。つまり、異なった種類の労働力は異なった大きさの価値を有するので、公平な賃金を要求するのは不合理であるとマルクスは言っている。

第7節の結論をマルクスは次のように簡潔に述べている。

労働力の価値は、この労働力を生産し、発達させ、維持し、永続させるのに必要な必需品の価値によって規定される。

 

第8節 剰余価値の生産

いよいよ剰余価値説の説明に入る。労働者の賃金額と労働力の価格が正確に一致するとき、資本家はいかなる剰余価値も剰余生産物も手にしない。では、資本家はどこから剰余価値を手に入れているのだろうか。

マルクスは次のように考えることで、このパラドックスを解消した。

資本家は、労働者の労働力を買い、その価値に支払いをすることで、他のすべての買い手と同じく、買った商品を消費ないし使用する権利を獲得した。資本家は機械を動かすことによって機械を消費ないし使用するのと同じく、労働者に労働をさせることによって彼の労働力を消費ないし使用する。それゆえ資本家は、労働者の労働力の一日分ないし一週間分の価値を買うことによって、この労働力を丸一日ないし丸一週使用ないし働かせる権利を得たことになる。

(206ページ4行目から)

労働者の労働力の1日分の価値と、労働力を丸一日使用して得られる商品価値は異なる。この差額が剰余価値である。

「労働力の価値は、この労働力を生産し、発達させ、維持し、永続させるのに必要な必需品の価値によって規定される」のであった。労働者の1日分の再生産に3シリングしか必要ないのであれば、その労働者の労働力の価値は3シリングである。一方でその労働者を1日分働かせたときに得られる価値が6シリングであるなら、差額3シリングは資本家が手に入れることになる。

したがって、剰余価値率は労働日が延長される度合いに基づいているのである。労働者の賃金は労働日の長さには依存しないが、労働者の労働力を使用することによって実現できる価値の大きさは労働日の長さに依存する。剰余価値を増大させたい資本家は、当然労働日を延長させたがるであろう。

 

第9節 労働の価値

再び労働の価値の話題に戻る。何度も見てきた通り、労働力の価値は労働力を維持するのに必要な必需品の価値に等しいのであった。

しかしながら、労働者にとっては労働力の価値が労働そのものの価値に等しく見える。つまり、資本-賃労働関係のもとでは支払労働と不払労働の区別が曖昧になる。どこまでが賃金が支払われた部分の労働で、どこまでが最終的には資本家のものになる剰余生産物を生産する労働なのかの区別がつかない。

 

第10節 利潤は商品を価値通りに売ることによって生まれる

第6節後半で見た通り、資本家は不当に価格を釣り上げることによって利潤を得ているわけではなく、商品をその価値通りに売ることによって利潤を得ている。商品の価値は投下された社会的労働量によって規定されているが、これは生産要素に対する費用の等価分といかなる費用も支払っていない価値に分割される。後者が剰余価値に等しく、資本家はそこから利潤を得ている。

 

第11節 剰余価値が分解していくさまざまな諸部分

地代、利子、産業利潤は、商品の剰余価値ないしそこに実現されている不払労働のさまざまな諸部分に与えられた異なった名称にすぎないのであり、いずれもこの源泉から、そしてこの源泉からのみ派生している。

(215ページ4行目から)

しかし、これら三種の区別は労働者にとってはどうでもいい。

 

「ある与えられた価値が三つの諸部分に分解されること」と「三つの独立した諸価値の和によってこの価値が形成されること」は明確に異なる(アダム・スミス批判)。

 

不変資本:C、可変資本:V、剰余価値:Mとしたとき、価値はC+V+Mになる。また剰余価値率はM/Vとなるが、これは労働の搾取の真の度合いを示す。他方で前貸しされた資本(不変資本と可変資本の和)を分母に取るなら、それは利潤率と呼ばれM/(C+V)となる。しかしこの数式は、労働者から無償労働(不払労働)を抽出しているのを非常に見えにくくする。

 

第12節 利潤、賃金、価格の一般的関係

(その時点での)最終生産物の価値から中間生産物の生産に投下された労働力の価値を差し引くと、それは最後に用いられる労働者によって付け加えられた労働量に帰着する。資本家と労働者はこの価値を分け合うのであり、その分割の仕方は商品価値には何の影響ももたらさない。

 

第13節 賃上げの試みないし賃下げに抵抗する試みの主要な場合

  • 必需品価値が上昇した場合

労働力の価値は労働者を再生産するために必要な生産物の価値によって規定されるため、必需品価値が上昇した場合は支払労働が増加し、不払労働が減少する(剰余価値率は減少する)。したがって、賃上げを要求するのは正当である。

  • 必需品価値が下落した場合

先ほどの逆で剰余価値率が増加する。労働者の絶対的生活水準は変わらないが、剰余価値率が増加し資本家と労働者のパワーバランスが資本家に有利になる方向に傾く。すなわち労働者の相対的生活水準、あるいは相対的な社会的地位は低下する。この相対的な社会的地位の低下に抵うために、賃下げに抵抗するのは正当である。

  • 貨幣価値が下落した場合

賃金(名目)価格が変わらないとしたら、労働者の生活水準は悪化する。賃上げを要求するのは正当である。

また、労働日・労働強度の変化によっても賃上げを要求しなければならない局面は出てくる。

 

好況局面において賃上げを要求しないのであれば、平均労働価格に見合った賃金を受け取ることができない。諸商品は資本主義社会においては不況の際に価格が下落し、好況の際に価格が上昇する。労働も商品の一部であるから、この価格変化に従わなければならない。

 

この節は、「賃上げ闘争は無用であり有害である」としたウェストンの主張に対する強烈な反駁となっている。

 

第14節 労資間の闘争とその諸結果

労働をほかの商品から区別するのは、肉体的要素と歴史的・社会的要素である。

 

利潤の最低限を決めることはできない。剰余価値が固定されているのであれば、利潤の最低限は賃金の最大限に対応するが、それを規定することはできない。

逆は可能である。利潤の最大限は、賃金の肉体的最小限(労働者を再生産できるギリギリのライン)と労働日の肉体的最大限(労働者が過労死しないギリギリのライン)に対応する。

資本家は利潤を最大化しようとするが、それは(労働日の長さと労働強度が固定されている場合は)必然的に賃金の最小化につながる。賃金の最小化に抗うためには、労資間の絶え間ない闘争が必要である。

Arbeitslohn wird bestimmt durch den feindlichen Kampf zwischen Kapitalist und Arbeiter.

(Ökonomisch-philosophische Manuskripte aus dem Jahre 1844 の冒頭部より引用)

 

労働者が賃下げに抵抗、あるいは賃上げの要求を行うのは、あくまでも現状の社会システムの中で生活水準を改善するためであって、社会システムの変革そのものを忘れてはならないとマルクスは述べる。マルクスはウェストンに対する強烈な反駁を論じたが、資本主義社会の打倒という根本的な目的では両者の考えは一致していたと考えられる。